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学校じゃ教えられない
■ケータイ小説 リアル - Google 検索

いや、おいしいものを「ヤバイ」と呼ぶ世代の言う「リアル」に対して、我々の知っている「リアル」という言葉の定義で理解しようとしても理解できないのではないか。言ってることが理解できない以上、そこにはきっと別の何かがすっとばされているはずだ。

結論から言えば自分は、彼らの言う「リアル」は「現実的・写実的」という意味ではなく、きっとその逆、「物語的でない・偽善的でない」という逆説的な意味ではないかと思う。

ケータイ小説における「物語的でない」部分、それは即ち「お姫様がいて、勇敢な若者がいて、困難を乗り越えつつ絆を深め、最後は誰もが認めるハッピーエンド。」というディズニー映画の予定調和のような展開ではないということだ。

つまり彼らの言う「リアル」とは、「ディズニー映画なんて子供っぽい」とか「現実ってもっとシビアだよね」とか思い始めた頃に初めて触れた、伝統的な予定調和のハッピーエンドではない物語、何かしらの障害に苦しんだり、男女が絆を深めようがどうしようがダメなものはダメだったり、それでもやっぱり最終的にはそれなりの幸せの形が残ったりする物語、そんな作品を指していう「アンチ・フェアリーテール」的な意味での「リアル」なのではないか。

きっとそれまで本や活字に触れたことがない人ほどそういう物語にはケータイ小説で初めて触れることになり、そのショックは大きいだろう。
| 日記 | 2008-08-06(Wed) | TB:(0) | CM:(2) |
コメント

「学校じゃ教えられない!」は、一度見たんですけど
なんだか照れくさい感じで最後まで視聴できませんでしたw
 
ああ、KaOSさんの「今時のリアル」解説わかりやすいなあ。
 
その年代の頃は「究極超人あ~る」とか「プロジェクトA子」
みたいなのばっかり見てました! 馬鹿一直線!
2008-08-08(Fri) 23:09:44 | URL | TAK  [ 編集]

「学校じゃ教えられない!」面白いよね、て書きたいがために
前段を適当にでっち上げるつもりだったけど、
書いてるうちにだんだん調子乗っちゃいました。テヘ。

「学校~」は平成版の「毎度おさわがせします」とか
「うちの子にかぎって」だと思えば比較的楽しく見られますよw

自分も「あ~る」はどっぷりでしたから。
読んだ人と読んでない人では
絶対学生時代の過ごし方に大きな違いが(笑)。
2008-08-09(Sat) 00:11:30 | URL | KaOS  [ 編集]
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